プロジェクトPROJECT

高橋 克行
NTT事業本部
ネットワークシステム部 東日本ネットワーク事業部門
技術長 1992年入社
山木 敏雄
NTT事業本部
ネットワークシステム部 東日本ネットワーク事業部門
担当部長 1978年入社

NTT事業

東日本大震災 通信復旧プロジェクト

人と人をつなぐ。
それが私たちの使命。PROJECT INTERVIEW

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GROUND
背景

2011年3月11日、午後2時46分

考えられないほどの力で全身を揺さぶられた。巨大な揺れが突如、東日本全域を襲った。NTT事業本部 高橋はそのとき、NTT回線工事のため仙台市内の某ビルにいた。最初の揺れが収まった隙に、高橋は作業をすべてストップさせ作業員らに帰社・帰宅を促した。そして自分もすぐさま事務所へと車を走らせた。街は混乱していた。普段は40分ほどの道程が、3時間以上かかった。事務所に戻り、支店の社員とその家族の安否が確認できたとき、ようやくわずかな安堵を覚えた。高橋にも家族がいた。夜になり自宅に戻ると「避難所にいます」という置き手紙があった。携帯電話はすでにつながらなくなっていた。唯一、つながったのはショートメール。それだけが家族の安否を知る術だった。しかし向かった避難所は人でごった返していた。“生きている”ということは確認できたが、ついにその日は家族の顔を見ることはできなかった。
NTT事業本部 山木が被災したのは、同じく東北支店で書類作成の業務をしていたときだった。「最近、地震が多いから気をつけよう」と同僚と話していた矢先の大地震。だが、山木ら支店にいた者たちは、この地震があれほどの被害をもたらすものだと気づくのに少し時間がかかった。確かに揺れは大きかったが「今回は結構揺れたな」、そう思う程度だった。地震直後から起きた停電が情報を遮断したからだった。テレビは点かない。携帯電話や車のワンセグTVからの細切れの情報だけが頼りだった。ふと、仙台空港を津波が襲う映像が小さなディスプレイに流れた。不安と恐怖が一気に襲ってきた。頼りの携帯電話の充電は切れかけていた。「これからどうなってしまうのか・・・」。そんな不安が山木らを包んだ。普段は夜でもこうこうと光り輝いている仙台の街が、この日は漆黒の闇に飲み込まれた。

MISSION使命

俺たちがやらずに誰がやると言うのか

地震発生直後、日本コムシス本社では災害対策本部を設置。社員や協力会社従業員の安否確認、全国の支援可能車両・要員調査が進められた。翌々日には全国から応援要員が通信・電気設備の復旧工事のため東北へと向かっていた。高橋も地震から2日後の13日には、現地の被害状況把握のため同僚とともに石巻へ向かった。「自衛隊車両の後に続いて、石巻の街に入りました。その光景を目の当たりにすると、誰も声を発することができませんでした」。
一方、山木は東北支店で陣頭指揮にあたった。人員配置と必要物資の手配に追われた。余震は続いていた。床が揺れるたび、体がこわばった。「1日が終わって、作業員たちが支店に戻ってくるたびに胸をなで下ろしました。『よかった。無事に帰ってきたな』と。いつまたあの揺れがくるのか皆がそんな恐怖と戦っていました」。
想像をはるかに超えた被害。またいつ地震が襲ってくるかわからず、家族ともなかなか連絡が取れない状況。それでも高橋、山木らはインフラ復旧のため自らの仕事と向き合った。高橋はこう語る。「それが我々の仕事ですから。通信を復活させることは自分たちにしかできません。それに電力会社さんも水道会社さんも皆頑張っています。自分たちだけ何もしないわけにはいかないと思うのは普通のことです」。

VISIONビジョン

つなぎ続ける、という使命

被害はあまりに広範囲。正確な被害状況把握にも時間がかかった。それでも3月末には本格的な復旧工事がスタート。全国各地からの応援部隊の協力もあり、翌月末には大手通信企業の通信設備の応急復旧工事が完了。被災地の通信インフラが蘇った。
2018年、東北の街には笑い声が響いている。「けれどまだ、震災は終わっていないんです」と高橋は話す。「少しずつ仮設住宅が減り、新しい住宅が増えていくのを見ると復興も進んでいると感じます。でも気仙沼に向かう道を走っていると、土地整備のための土砂を運ぶトラックが数多く走っています。まだ復興の手が届いていない場所もあります。あの日のままの場所もあるんです。だからまだ復興の途中なんだとも感じます」。高橋はその後、福島の避難指定区域内での通信設備更改工事も行った。いつになるかはわからないが、それでもいつか再び故郷に戻る人たちが安心して暮らしていけるようにとの願いを込めて工事を行った。
携帯電話が家族をつなぎ、テレビやインターネットから届く情報が安心を生む。東日本大震災では、その通信や電気が一時途切れた。通信がライフラインの一つになっていることを、高橋も山木も、そして日本コムシスの社員たちも身をもって知った。だからこそ自らが被災者でありながら、目の前の仕事から逃げなかった。皆の心を支えたのは、「途切れさせてはいけない」という強烈な使命感だった。